読書は秋だけではなく生活の中で常に親しむ

読書は秋だけではなく生活の中で常に親しむ

これまで読書をしたいと思っていても他にやらなければならないことがあってできないと思ってました。

でも、それは思い過ごしで本を読もう決めれば時間をやりくりして読む時間をとることができるようになりました。

読書をする時間がないというのは言い訳であって、自分の弱い心の現れであると気づいたわけです。

本来、本は好きなので本屋へ行けば必ず何冊か買ってました。

買ってはみたもののそのまま本箱行きで手つかずの本が100冊以上あることにやっと気づいて、少しづつでも読んでいこうと決めました。

そして、読み終わったら手元にいつまでも残しておかないで売って、空いたスペースにまた新しい本を買うことにしたのです。

読まない本に埋もれていても仕方ないから。
今は集荷買取もすぐ来てくれるみたいだしね→http://xn--79q28br7sqdp97a61bj82j.com

ジャンルは様々で小説、エッセイ、HOW TOもの、スピリチュアル、etc.

読む時間は決めていませんが、ゲームをしていた時間を読書の時間に充てるようにしたら、意外と時間ってあるんだと思いました。

ゲームから得られるものはないけど、本からは限りなく得られるものがあるんです。

日本語なのに意味がわかってない言葉にも出会いますし、辞書を引いたりして知識も広がります。

小説など読んでいると様々な人が世の中にはいるし、考え方も多様だということにも気づくし、自分自身の考え方や行動も振り返るきっかけにもなりました。

今後の人生でどれだけの本と触れ合えるのかわかりませんが、本とかかわりあう時間は必要だと実感してます。

いろんな人がいて当然

左・右・真ん中。

いろんな考え方の人がいて当然ですね。

でも、どの道を選んでも完璧ということはなく、長所があれば短所もあるわけです。

なのに、お互いに争い合う姿がよく見られます。

単純に考え方の上で今起きていることへの向き・不向きを論ずるだけならばいいのですが、
どうしても、文字だけの世界の中だとエスカレートするのでしょう、
怒るために怒っているようにしか見えない場面に出くわすことも少なくありません。

しかし、現実問題として隣人とは考え方が異なっていても(同一である場合の方が稀ですが)共存をしていかないといけないのです。

リアルの世界ではお互いに曖昧なマージン領域を触れ合わせて、なんとか共存していきますが、文字だけの世界になるとこのマージンが取り払われてしまうのでしょうか。

人が文字だけで意思疎通できるようになるには、まだまだ時間がかかるのかもしれませんね。